山崎蒸溜所(サントリーホールディングス)|蒸留所詳細情報

ウィスキー蒸留所
ウィスキー蒸留所
山崎蒸溜所

2023年に操業100年を迎える、日本で最初のウイスキー蒸溜所

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1.概要

寿屋(現サントリー)の初代社長『鳥井信治郎』が1923年に操業。
日本で最初のウイスキー蒸留所として世界的にも有名で、数々の商品が世界的品評会でも高い評価を得ています。
蒸留所へのアクセスも良く連日多くの観光客が訪れています。

初代工場長は話題になったドラマ「マッサン」でも知られるニッカウヰスキーの創業者『竹鶴政孝』。
企業の成長とともに改修、増設を重ねており、ここ10年余りで約700億円ほどの設備投資を行い、現在は様々なタイプの計16基の蒸留器を駆使し、多種多様な原酒を造り分ける事が山崎蒸溜所の最大の特徴。

ウイスキーの味を大きく左右する仕込み水は、千利休も茶を立てる際に愛用したとされる銘水100選「離宮の水」を使用。
見学ツアーの中で見れる貯蔵庫はダンネージ式の一か所のみで蒸溜所内にはダンネージ式とラック式合わせて4棟あり、その他に滋賀県近江にエイジングセラー19棟を保有しています。

2023年に100周年を迎え100億円を投資、これを機にあえて前時代的なシステム「フロアモルティング」を採用しています。

 

 

2.基本情報

2-1.オーナー

サントリーホールディングス

2-2.所在地

〒618-0001
大阪府三島郡島本町山崎5丁目2−1

2-3.アクセス

JR西日本東海道本線(京都線)山崎駅 徒歩7分
阪急電鉄京都本線大山崎駅 徒歩10分

詳しいアクセス情報はこちらから

アクセス サントリー山崎蒸溜所
山崎蒸溜所へのアクセス方法や地図をご案内します。

2-4.操業開始

1923年(大正12年)

2‐5.主力商品

シングルモルト山崎12年
世界的なコンペティションで初めて日本のウイスキーが評価され、歴史的快挙を果たしたのがこの山崎12年です。
有名なエピソードですが、山崎の「崎」の文字は崩し文字になっており、寿屋(サントリーに社名変更する前の社名)の「寿」の文字が隠されています。
サントリー二代目佐治敬三の先代への想いが込められています。

山崎12年の受賞歴
2003年ISC(インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ)金賞
2009年SWSC(サンフランシスコ・ワールド・スピリッツ・コンペティション)ダブルゴールド(最高金賞)
2010年ISC金賞
2013年SWSCダブルゴールド
2014年SWSC金賞
2018年ISC金賞

3.見学・ビジターセンター

2023年現在見学予約受付中※リニューアルオープン直後の為、抽選申し込み制
見学終了後、ビジターセンターである『山崎ウイスキー館』にて山崎蒸溜所のこれまでの歴史や山崎白州25年もの響30年など貴重な有料試飲やギフトショップでの買い物も楽しめます。

現在見学ツアーは『山崎蒸溜所ものづくりツアー(約80分3,000円)』と、火曜木曜限定で行われる『山崎蒸溜所ものづくりツアープレステージ(約120分10,000円)』の2通りのコースがあり、どちらのコースにも外国人専用ツアーが用意されています。

予約抽選申し込みはこちらから

サントリー山崎蒸溜所(大阪府)|ウイスキー蒸溜所見学
日本のウイスキーのふるさと、山崎蒸溜所。創業者の鳥井信治郎は日本人の繊細な味覚にあったウイスキーをつくるため、良質な水と自然環境にこだわって山崎の地を選び、蒸溜所を建設しました。工場見学(有料・事前予約制)のほか、テイスティングカウンター(...

今となっては貴重なリニューアル前に当サイトスタッフが実際に山崎蒸溜所へ行ってきた時の見学レポートはこちらから

サントリー山崎蒸溜所:見学訪問レポート(2023年3月訪問)
今から100年前、寿屋(現・サントリー)の鳥井信治郎と竹鶴正孝が、京都と大阪の県境に建設した「サントリー山崎蒸留所」へ有料見学ツアーとして訪問してきました。見学の内容、山崎ウイスキー館、そして感じた事などをレポートをお届けします。

3‐1.周辺グルメ情報

山崎蒸溜所へ立ち寄った後は、京都のグルメで舌鼓を。

3‐2.観光宿泊

折角京都へ来たなら、蒸溜所見学と併せて京都観光や京都のホテルを楽しんではいかがでしょうか。

4.製造スペック

山崎蒸溜所の製造スペックは公開されていますが、生産量は実は公表されてません。

グレンリベット蒸留所の年間生産量は2100万リットル、グレンフィディック蒸留所は年間1000万リットル(初留10基、再溜21基)を生産しています。
アイラ島で最大生産量を誇るカリラ蒸留所では年間650万リットル(初留3基再留3基)を生産。アードベッグは年間240万リットル生産しているとされています。
生産量 非公開
仕込み水 天王山地下水(硬度90度)
麦芽 二条大麦(フェノール値0~40ppm)
仕込み量 ワンバッチ4~16トン
モルトミル ポーティアス製4本ローラーミル
糖化槽 ニューミル・アイロンワークス製ステンレス2基
麦汁量 10万リットル/2.5万リットル
発酵槽 日本木槽木管製オレゴンパイン8基/2万5,000リットル
日本化学機械製造製ステンレス12基/9万リットル
ポットスチル ①初留器
フォーサイス製/三宅製作所製(共にガス直火)
ストレート型6基、バルジ型2基
容量1万~1万5,000リットル

②再溜器
フォーサイス製/三宅製作所製(加熱方式スチームコイル・ヒートパン)
ストレート型4基、バルジ型4基
容量6,000~8,000リットル

冷却装置 〇初留:シェル&チューブ6基/ワームタブ2基
〇再溜:シェル&チューブ
 ボトリング設備 有り
熟成庫 蒸留所内にダンネージ式、ラック式4棟、近江エージングセラー19棟

5.熟成環境について

木津川、桂川、宇治川の三川が合流しており、大阪の平野と京都の盆地の接合点で濃霧が発生し、空気が乾燥しにくい特性を持つ土地です。
幸いにも近くに果樹園等が無く、ウイスキー酵母の発酵を妨げる有害な菌が無い事で、ミクロフローラ的にも良いと、まさに様々な条件が奇跡的に折り重なっています。

 

貯蔵されている熟成中の樽は、天板に熟成年が記載されています。
白い鏡板がモルトウイスキー、黒の鏡板知多蒸溜所から持ってきたグレーンウイスキー。
ミズナラ樽には、樽の端に「」の文字が記載されており、更にその横に「」の字が書かれており、その樽が何回目の使用なのかが分かるようになっています。

熟成庫の奥の方に一番最初(1924年)に詰められた樽が展示されています。
よく見るとカディス産の刻印が見えます。

メインの貯蔵庫である近江エイジングセラーについては、見学などの一般の受け入れは一切行われておらず謎が多い貯蔵庫です。
しかし、2021年度の有価証券報告書によると、2021年から2022年のわずか1年の間に設備投資が3回行なわれており、今後も原酒の増産体制を強めていくのではないかという事が予測されます。
更に、ビームサントリーニューヨークオフィス支社にも投資を行っており、海外需要に向けてもより強化していく事が予想されます。

6.蒸留所ストーリー

6-1.歴史

2023年に操業100周年を迎える日本で最初のウイスキー蒸留所「山崎蒸溜所」。
弱冠20歳で起業し、当時洋酒文化が根付いていなかった日本にウイスキー文化をもたらし、ウイスキーの父と呼ばれた、寿屋(現サントリー)創業者『鳥井信治郎』の歴史をこちらの記事でより詳細にまとめています。

↓2万文字越え、BOOKMARK推奨!ウイスキーと共に生きた「鳥井信治郎」の生涯と日本の歴史↓

6-2.歴代のブレンダー

初代マスターブレンダー「鳥井信治郎」

言わずと知れた寿屋創業者「鳥井信治郎」は、元々嗅覚がすぐれており、大阪の鼻と称されたほど。
丁稚奉公に出た先が薬種問屋で調合のノウハウをそこで体得したと言われています。
「やってみなはれ、やらな分からしまへん」が口癖でその精神は、現在のサントリーの基幹となっているのは言うまでもありません。
二代目マスターブレンダーである、佐治敬三とはよく親子喧嘩をしていたそうで、社長室からおまえはへんこつや!と怒号が毎日のように飛んでいたそうです。
荒い気性のその一方で、困っている人の元へはいち早く駆け付けるという義理堅い一面も。

「鳥井信治郎」の事をもっとよく知りたいという方にオススメしたい書籍を紹介します。

チーフブレンダー「大西為雄」

白州蒸溜所のマザーウォーター(仕込み水)となる白州・尾白(おじら)川の地下水を、花崗岩を通った白州・尾白(おじら)川の地下水を発見した人物。
より良い水質を求める執念から「水の狩人」の異名を持つ「大西為雄」は、戦後の影響から海外からの樽の仕入れが困難になった時、代わりになるミズナラの木を最初に樽材として見出した人物とされています。
1963年~70年の間、第8代山崎蒸溜所工場長を務めています。

画像引用:サントリ―HD

二代目マスターブレンダー「佐治敬三」

二代目寿屋社長、サントリー中興の祖として知られる「佐治敬三」は、鳥井家の次男にあたります。
信治郎の勧めで大阪帝国大学理学部化学科にて、ウイスキーに含まれる高級アルコールに影響を及ぼす、アミノ酸の合成をテーマとした研究をしていたと言われています。
長男吉太郎が二代目を継ぐ予定だったが33歳の若さで早逝した為、次男である敬三が継ぐ形となりました。
佐治姓については謎が多く、諸説あります。当サイト歴史コンテンツ内にて、佐治姓について触れている記事がありますので、こちらも併せてご覧ください。


先代の信治郎が苦戦し、一度は撤退したビール事業を再開させた事でも有名で、1967年に非熱処理の瓶の生ビール「純生」を発売しました。
公共広告機構(現在のACジャパン)の発起人であり、芸術への造詣が深く、「サントリー美術館」「サントリーホール」など日本の文化事業向上にも貢献しています。
1973年に白州蒸溜所を建設しシングルモルト「白州」を発売。

創業90周年の節目に、1989年「人と自然と響きあう」をテーマに、後に酒類世界的コンペティションで殿堂入りを果たすブレンデッドウイスキー「響」を発売。

余談ですが、サントリーの管理職たちは社長の敬三から渡される、通称「マルめ」と呼ばれる指示が書かれたメモ紙(しかも不要になった裏紙)に戦々恐々としていたそうです。
敬三の○にkのサインがひらがなの「め」に見えることからそう名づけられました。
元々は、敬三が専
務時代に宣伝制作係長であった山口瞳が、チラシの裏紙に部下への指示を書いたメモを回していたのを取り入れたのではないかと言われています。

チーフブレンダー「佐藤乾」

佐治敬三と共に現在のシングルモルト「山崎」を2年の歳月をかけて生み出した人物。

チーフブレンダー「稲富孝一」

元サントリーチーフブレンダー。
輿水精一チーフブレンダーの元上司であり、あの「響17年」の開発者。


1968年には、スコットランドのヘリオット・ワット大学に留学、醸造学の基礎研究で博士号を取得。
2000年にサントリーを退社後、グラスゴー大学の客員研究員として、スコッチウイスキーの産業史を研究に従事。
2016年には世界的なウイスキー専門誌『ウイスキーマガジン』が認定する「Hall of Fame」を受賞。
日本人として史上2人目となる“ウイスキー殿堂入り”を果たす。

三代目マスターブレンダー「鳥井信吾」

1953年生まれ。甲南大学卒業。南カリフォルニア大大学院修了。
92年取締役、03年副社長、12年関西経済同友会代表幹事、14年より副会長、大阪商工会議所副会頭。
創業者の鳥井信治郎氏は祖父、二代目社長の佐治敬三氏は伯父に当たる。
02年よりマスターブレンダー就任。

画像引用:Wikipedia

画像引用:Wikipedia

チーフブレンダー「輿水精一」

輿水精一 (こしみず せいいち)
1949年生まれ 山梨県出身
1973年 サントリー入社 多摩川工場配属
1976年 中央研究所、酒類食品研究所でウイスキーの貯蔵、熟成の研究に従事
1985年 山崎ディスティラリー(現山崎蒸溜所)(貯蔵担当)
1991年 洋酒研究所ブレンダー室へ
1996年 ブレンダー室主席ブレンダー
1999年 ブレンダー室チーフブレンダー
2014年 名誉チーフブレンダー
2015年 Whisky Magazine誌のHALL of FAME入り
<現在の活動>
・関西大学客員教授
・山梨大学客員教授
・やまなし大使
・株式会社ハセラボ 代表取締役副社長

チーフブレンダー「福與 伸二」

1961年愛知県生まれ。名古屋大学農学部農芸化学科卒業。
1984年サントリー株式会社(当時)に入社。
白州ディスティラリー(現在の白州蒸溜所)ブレンダー室を経て、1996年に渡英。
ヘリオットワット大学(エジンバラ)駐在や、モリソンボウモア ディスティラーズ(グラスゴー)への出向勤務の後、2002年帰国。
2003年に主席ブレンダー、2009年にブレンダー室長となり5代目チーフブレンダーに就任。
山崎の各種限定シリーズをはじめ、数多くのサントリーウイスキーを手掛けている。

7.その他の蒸留所一覧

日本のウイスキー蒸留所一覧(2024年5月更新・全106ヶ所)
2024年5月更新、最新のジャパニーズウィスキー蒸留所一覧、山崎蒸留所、白州蒸留所、余市蒸留所、宮城峡蒸留所、クラフト蒸留所の秩父蒸留所、厚岸蒸留所、ガイアフロー静岡蒸留所、マルス信州蒸留所、マルス津貫蒸留所、三郎丸蒸留所、安積蒸留所など全103ヵ所を一覧で総まとめ!
この記事を書いた人
万代 竜一

福岡県福岡市出身
福岡にある中洲のBARで14年間修行後、俳優業での活動の拡大も兼ねて2018年上京。俳優佐藤二朗氏作の舞台にて東京初舞台を踏む。特技はギターとビール好きが高じてビール銘柄をブラインドで当てられる事。
最初はウイスキーを飲み慣れておらず苦手だったものの、深く知るにつれて作っている人達の想いが強い事に感銘を受けて、作り手の方達を知ってもらえる一助になれば、と思いJWDに参加。現在はウイスキーが大好き。

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