余市蒸溜所(ニッカウヰスキー)|蒸留所詳細情報

ウィスキー蒸留所
ウィスキー蒸留所
余市蒸溜所

日本で2番目に開設されたウイスキー蒸溜所

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1.概要

日本で2番目に開設されたウイスキー蒸溜所「ニッカウヰスキー 余市蒸溜所」
竹鶴正孝は、鳥井信治郎と共に「山崎蒸溜所」を開設後、スコットランドで学んだウイスキーづくりを一切の妥協なく再現するため、スコットランドに似た気候と自然環境を求め、たどり着いたのが北の大地「余市」でした。
すぐにお金にならないウイスキーの当面の運転資金を工面する為、最初に立ち上げた事業は余市の特産品である、りんごを使ったジュースを販売する「大日本果汁株式会社」でした。
この大日本果汁を略して「日果」がのちの社名の「ニッカ」へと繋がります。
今もなお続く、石炭直火加熱による蒸留は、現在のスコットランドでも珍しいです。
蒸溜所内は、10棟が国の登録有形文化財に認定されており、観光スポットとしても人気が高く、見学ツアーは完全予約制にも関わらず、年間50万人の観光客が訪れています。
NHK連続テレビ小説「マッサン」のモデルになったのを皮切りに、再燃するウイスキーブームの火付け役となりました。
2024年に創業90周年を迎えます。

2.基本情報

2-1.オーナー

アサヒグループホールディングス(ニッカウヰスキー株式会社)

2-2.所在地

〒046-0003
北海道余市余市町黒川町7丁目6

2-3.アクセス

【電車】
JR新千歳空港駅からJR余市駅まで:約1時間半強
JR札幌駅からJR余市駅まで:約1時間強
JR小樽駅からJR余市駅まで:約30分
※JR余市駅からガイドツアー受付までは徒歩約2~3分

【バス】
小樽駅前バスターミナルから余市駅前までは、40~50分
バスターミナルは小樽駅の改札を出てすぐ、徒歩1~2分
倶知安/岩内/美国/余別/余市梅川車庫行き
※余市駅前または余市駅前十字街で下車、そこからガイドツアー受付までは徒歩約2~3分

【車】
新千歳空港(約120㎞):約2時間30分
札幌市内高速(約55㎞):約1時間
小樽市内(約20㎞):約30分
岩内方面:約1時間~1時間30分
積丹方面:約40分~1時間

2-4.操業開始

1936年(昭和11年)

2‐5.主力商品

シングルモルト余市

【レビュー】シングルモルト余市
2015年9月1日発売。シングルモルト余市。2017 ISC金賞。ストレートヘッド型ポットスチルと石炭直火蒸留ならではの重厚さと香ばしさ。ヘビーピートタイプの原酒が力強く主張し、新樽モルトとシェリー樽モルトのしっかりとしたボディ感とウッディな樽の風味、ピート香とソルティさを感じる個性的なシングルモルト。
シングルモルト余市の受賞歴
2017 年ISC(インターナショナルスピリッツチャレンジ)金賞

その他の商品はこちら

3.見学・ビジターセンター

無料ガイドツアー&無料試飲コース』と『シングルモルト余市キーモルトテイスティングセミナー(約80分1,500円)』と土日限定の『プラチナムVIPツアー(120分4,000円)』『マイブレンドセミナー余市(約150分8,000円』の4種類のコースがあります。

予約申し込みはこちらから

余市蒸溜所見学|NIKKA WHISKY
ウイスキーの製造工程の見学や、施設、試飲ができるテイスティングバー、ディスティラリーショップのご紹介。ガイドツアーでは、ウイスキーの製造方法やニッカの歴史についてガイドがご案内し、最後に無料のテイスティングをお楽しみいただけます。

3‐1.周辺グルメ情報

余市蒸溜所へ立ち寄った後はグルメで舌鼓を。

3‐2.観光宿泊

地元民の方以外は日帰りは難しいと思われますので、観光、ホテルも併せて楽しんではいかがでしょうか。

4.製造スペック

石炭を用いた直火蒸留は、竹鶴政孝の理想とする濃厚で力強いコクのある原酒生み出します。
この蒸留技術は、世界でも数少なく火の調整には熟練の職人の技が必要不可欠です。
石炭直火蒸留は底面に当たる部分が1000℃を越え、職人の長年の培われた経験と勘で薪をくべ入れる事により、絶妙な焦げを生み出すという伝統の技術です。
竹鶴政孝がロングモーン、ヘーゼルバーン蒸留所で直接学んだ技術と言われています。
その他、蒸留所内に製樽工場を自社で持っています。

生産量200万リットル
仕込み水余市川の伏流水(軟水)
麦芽不明(フェノール値ライトピート4~15ppm/ヘビリーピート20~50ppm )
仕込み量ワンバッチ6トン
モルトミルスイス・ビューラー社製ローラーミル
糖化槽三宅製作所製ステンレス・セミロイタータン
麦汁量2.5万リットル
発酵槽大和ステンレス工業製ステンレス10基
ポットスチル①初留器(石炭直火5~6時間加熱)
三宅製作所製
ストレート型4基
容量7,000~10,000リットル
②再溜器(スチームコイル加熱12時間)
三宅製作所製
ストレート型3基
容量10,000~13,000リットル
冷却装置初留、再溜共にワームタブ
 ボトリング設備無し(ニッカウヰスキー柏工場にてボトリング)
熟成庫ダンネージ式と一部ラック式の計27棟

5.熟成環境について

一年を通して寒冷な気候の余市は、ウイスキーの熟成にも適しています。
わずかに潮の香りを含む湿潤で澄んだ空気が樽を乾燥から守り、芳醇な香りを封じ込めます。
厳しくも豊かな北の大地は、竹鶴政孝が理想とした力強い原酒を育む地として理想的な条件を備えています。
初代寿屋(現サントリー)鳥井信治郎と大阪「山崎蒸溜所」の候補地を探していた際、スコットランドと似た環境を持ち、ピートや石炭まで発掘できる、この北海道の積丹半島に位置する余市を推薦したと言われています。

 

それぞれのポットスチルにはしめ縄が施されており、竹鶴政孝の実家が作り酒屋である事から、いいお酒ができる様にと祈願する風習を取り入れたとされています。

6.蒸留所ストーリー

6-1.歴史

1934年(昭和9年)寿屋を退社した竹鶴政孝がスコットランドの気候に似た北海道余市に、余市蒸溜所と大日本果汁株式会社を設立。
1935年(昭和10年)リンゴを搾汁した「ニッカ林檎汁」を製造販売
1936年(昭和11年)酒造免許を取得ウイスキーの蒸留を始める。
1940年(昭和15年)ポットスチルを2基に増設。
1941年(昭和16年)ニッカ沼と呼ばれる場所に貯蔵庫を建設。
1952年(昭和27年)ニッカウヰスキーに社名変更。瓶詰め工場として東京工場(現在の六本木ヒルズ、毛利庭園)を設置。
1954年(昭和29年)朝日麦酒(現アサヒビール)が株主となり、ニッカと業務提携を行う。
1980年(昭和55年)旧事務所余市町指定文化財に指定。
1987年(昭和62年)余市蒸溜所で「マイウイスキー作り」開始。
1998年(平成10年)北海道工場にウイスキー博物館が開館。
2001年(平成13年)ニッカウヰスキー北海道工場から余市蒸溜所へ名称変更。
2002年(平成14年)余市で「十年浪漫俱楽部余市」開始。
2003年(平成15年)直火炊き排出ガスの大気汚染防止の処理設備を配置。
2004年(平成16年)余市蒸溜所が北海道文化遺産に登録される。
2005年(平成17年)事務所棟、蒸溜棟、などの9建造物が登録有形文化財に指定される。
2007年(平成19年)蒸溜所の作業人数を3交代制から1交代に切り替え減産体制に移行。
2014年(平成26年)NHK連続テレビ小説「マッサン」放送。
2015年(平成27年)余市、宮城峡合わせて蒸溜所の見学者数、年間100万人を超える。
2020(令和2年)バイオガス発電施設建設。
昼夜2交代制の増産体制に移行。
2021年(令和3年)10の建造物が国の重要文化財に指定される。
2022年(令和4年)高層ラック式の貯蔵庫(7000樽収容可)稼働開始。
登記上の本店を70年ぶりに移転。場所は創業の地、後志管内余市町に移転。

6-2.歴代のブレンダー

初代マスターブレンダー「竹鶴政孝」

1962年(昭和37年)にイギリスのヒューム副首相が来日した際に「頭の良い日本の青年がやってきて、1本の万年筆とノートで英国のドル箱であるウイスキーづくりの秘密を盗んでいった」と当時の池田首相に語ったという逸話もある程の天才。
鳥井信治郎と並び「日本のウイスキーの父」と呼ばれています。
ウイスキーへの愛はもちろん、妻リタへの溺愛ぶりは相当であったようです。

鳥井信治郎から招かれて山崎蒸溜所の初代工場長を10年勤め上げた後、自身の理想とする余市蒸溜所を立ち上げてから1976年(昭和51年)発売の「鶴」までの全てのブレンディングに携わります。
またイーニアス・コフィーが発案したカフェ式連続式蒸留器を導入した人物でもあります。
相当な酒豪でウイスキーを一日一本飲んでいた、という逸話が有名ですが、意外にも晩酌時にはリタの作る日本料理に合う日本酒を好んで飲んでいたそうです。
1956年(昭和31年)黄綬褒章を授与され1965年(昭和40年)には、余市町の名誉町民に選ばれました。
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「竹鶴政孝」の事をもっとよく知りたいという方にオススメしたい書籍を紹介します。



2代目マスターブレンダー「竹鶴威」

威と書いて「たけし」と読みます、広島県福山市出身。
19歳の時に、叔父にあたる竹鶴政孝の養子になります。
広島大学の発酵工学科を卒業し1949年(昭和24年)ニッカに入社。
1970年(昭和45年)、取締役製造部長就任。
その後、常務、専務、副社長を経て1985年(昭和60年)に社長に就任。
1988年(昭和63年)に一度社長職を退きましたが、1992年(平成4年)から会長兼務のまま社長に復帰。
若い時節、ジョニーウォーカーやバランタイン等の海外原酒を後学の為に取り寄せて試飲していた時に、特に気に入ったのが皇室御用達のウイスキー『ロイヤルハウスホールド』であった、と本人のコラムにて語られています。
3級ウイスキーの時代から、ブレンダーチームに参加しており『スペシャルブレンドウイスキー』や『丸びんニッキ』『エクストラニッカ』からブレンダーとしてのキャリアをスタートさせています。
1997年(平成9年)にマスターブレンダーを佐藤茂生氏に引き継いでいます。

「竹鶴威」の事をもっとよく知りたいという方にオススメしたい書籍を紹介します。

3代目マスターブレンダー「佐藤茂夫」

1946年(昭和21年)生まれ。
1969年(昭和44年)京都大学農学部農芸化学科を卒業後、ニッカウヰスキー入社。
余市蒸留所・研究課にて品質管理、ブレンド等の研修・実務の後、弘前工場にてアップルブランデー、シードル等の開発に従事。
1984年(昭和59年)柏工場内に生産技術研究所・ブレンダー室が開設され、チーフブレンダー就任。
1997年(平成9年)マスターブレンダーに就任。
2001年(平成13年)本人が厳選した「シングルカスク余市10年」が日本初の世界最高賞を受賞。
これを機に世界的なジャパニーズウイスキーブームへと突入していきます。
ニッカ退職後は後進の育成やウイスキー文化の普及活動を積極的に行っています。
今も大人気商品である『フロム・ザ・バレル』や『ピュアモルト』『ブラックニッカ クリア』など、我々のよく知るニッカのヒット商品のほとんどを手掛けた人物です。
チーフブレンダーである杉本純一氏は、佐藤茂夫氏の代表作とも言えるブラックニッカクリアのレシピを見て「佐藤が残したレシピは、変えるところのない完璧なブレンドでした」と評しています。
「佐藤茂夫」の事をもっとよく知りたいという方にオススメしたい書籍を紹介します。

4代目マスターブレンダー「山下弘」

1947年(昭和22年)生まれの北海道函館市出身。
ニッカウヰスキーの代表取締役社長、会長を務めました。
1970年(昭和45年)ニッカウヰスキー入社。
生産部長、西宮工場長、アサヒビール酒類事業本部副本部長などを歴任。
2002年(平成14年)アサヒビール執行役員、ニッカウヰスキー株式会社代表取締役社長。
2010年(平成22年)同社代表取締役会長。同年、第4代マスターブレンダー就任。
2012年(平成24年)同社顧問。

チーフブレンダー

杉本淳一
久光哲司
佐久間正

7.その他の蒸留所一覧

日本のウイスキー蒸留所一覧(2024年2月更新・全103ヶ所)
2024年2月更新、最新のジャパニーズウィスキー蒸留所一覧、山崎蒸留所、白州蒸留所、余市蒸留所、宮城峡蒸留所、クラフト蒸留所の秩父蒸留所、厚岸蒸留所、ガイアフロー静岡蒸留所、マルス信州蒸留所、マルス津貫蒸留所、三郎丸蒸留所、安積蒸留所など全103ヵ所を一覧で総まとめ!
この記事を書いた人
万代 竜一

福岡県福岡市出身
福岡にある中洲のBARで14年間修行後、俳優業での活動の拡大も兼ねて2018年上京。俳優佐藤二朗氏作の舞台にて東京初舞台を踏む。特技はギターとビール好きが高じてビール銘柄をブラインドで当てられる事。
最初はウイスキーを飲み慣れておらず苦手だったものの、深く知るにつれて作っている人達の想いが強い事に感銘を受けて、作り手の方達を知ってもらえる一助になれば、と思いJWDに参加。現在はウイスキーが大好き。

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