宮城峡蒸溜所(ニッカウヰスキー)|蒸留所詳細情報

ウィスキー蒸留所
ウィスキー蒸留所
宮城峡蒸溜所

ニッカウヰスキー第2の蒸留所として1969年に創設。
ブレンドにおいて必要不可欠なグレーンウイスキーの製造拠点としての役割も担う蒸留所。

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1.概要

力強く重厚な余市モルトとは異なるタイプのモルト原酒を作りたいと考えた竹鶴政孝が探し当てた、ニッカウヰスキー第二の蒸留所です。
山形との県境に近い広瀬川と新川(にっかわ)という、ふたつの清流に囲まれたこの峡谷でブラックニッカを新川の清流で割って飲み、即決したという有名なエピソードがあります。
二つの蒸留所の複数の原酒を用い、より味わい深く豊かなウイスキーを生みだす事が出来るようになりました。
宮城峡蒸溜所が誇るのが「カフェ式連続式蒸留機」
導入当時からすでに旧式とされていた蒸留機です。
旧式である事に加え、カフェ式は雑味成分が残りやすいのですが、ニッカの高い蒸留技術によって、原料本来の香りや甘みに変えることができるため、竹鶴政孝はあえてこの旧式蒸留機を選びました。
創業100周年を迎える2034年に向けた取り組みの一環として、総額約65億円の設備投資を決定しています。

2.基本情報

2-1.オーナー

ニッカウヰスキー(アサヒグループホールディングス)

2-2.所在地

〒989-3433
宮城県仙台市青葉区ニッカ1

2-3.アクセス

【無料バス】
JR作並駅から無料シャトルバス運行中(金土日祝日のみ)
出発時刻【9:10/10:00/11:10/12:00/13:00/13:40/14:40】
※JR仙台駅からJR仙山線作並駅まで(1時間に1本):約40分

【市営バス】
仙台駅前より作並温泉行き「ニッカ橋」下車
(所要時間:約60分)

【車】
東北自動車道・仙台宮城ICより国道48号線を山形方面へ約25分。

2-4.操業開始

1969年(昭和44年)

2‐5.主力商品

シングルモルト宮城峡

【レビュー】シングルモルト宮城峡
深みを増した、華やかさと軽やかさ「シングルモルト宮城峡」。ニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所で造られる華やかでフルーティーな原酒にシェリー樽モルトと新樽モルトを加えたことで、軽快な中にも深みと厚みが生まれました。最新価格7700円(税込)
シングルモルト宮城峡の受賞歴
現在のところ無し

その他の商品はこちら

3.見学・ビジターセンター

『ニッカのウイスキーを知るセミナー』と『ニッカのウイスキーを知るセミナーモルトウイスキー編』と
『ニッカのウイスキーを知るセミナーブレンド編』『宮城峡キーモルトティスティングセミナー』
『マイブレンドセミナー』『自宅で愉しむホットウイスキーセミナー』と6種類のセミナーが用意されており、何度も足を運ぶ楽しみがあります。

現在、事前予約のみ受け付けていますが、特にセミナー付きのプランは人気が高くあらかじめ、早めの予約が必須です。
毎月15日に来月の予約が解禁されますので忘れずにチェックしておきましょう。

3‐1.周辺グルメ情報

せっかく来たなら、新鮮な魚介や牛タンなども外せません。

3‐2.観光宿泊

仙台城跡や仙台藩祖伊達政宗公を始めとした、伊達家三藩主の霊屋「瑞鳳殿」など、歴史深い街並みも堪能できます。

4.製造スペック

余市蒸溜所との差別化を図る為、クリーンな原酒を作る事に特化されたスペックを持ちます。
発酵槽はステンレスでポットスチルのラインアームは上向きに設定されており、どちらの要素も軽い酒質を生み出します。
余市蒸溜所は直火蒸留ですが、こちらはスチームによる間接加熱蒸留を採用し、徹底した原酒の造り分けを行っています。
1976年に増設されたモルトウイスキー製造はライン分けされA系統、B系統と二つに分けられています。
敷地内奥には樽の修理工房があり、修理やリチャーは蒸溜所内で行っています。
1日で約25~30丁ほどの樽の修理や組み直しが行われています。

生産量
仕込み水 新川の伏流水
麦芽 ノンピート/ライトピート(4ppm程)
仕込み量 ワンバッチ6~10トン
モルトミル スイスビューラー社製5本ローラーミル
糖化槽 ハップマン社/チーマン社製ステンレス・フルロイタータン×2基
麦汁量 3万3,000リットル~4万8,000リットル
発酵槽 大和ステンレス工業製×22基/3万3,000リットル~4万8,000リットル
ポットスチル ①初留器
三宅製作所製バルジ型×4基(スチームコイル加熱130℃)
②再溜器
三宅製作所製バルジ型×4基(ヒートパン加熱)
③その他
イギリスブレア社製カフェ式2塔式連続式蒸留機×2基
冷却装置 初留器シェル&チューブ
再溜器シェル&チューブ
 ボトリング設備 有り
熟成庫 ダンネージ式/ラック式×26棟

5.熟成環境について

「自然を大切にしなければおいしいウイスキーはつくれない」という竹鶴政孝の信念に基づき、樹木の伐採は最低限に留め、電線はすべて地下に埋設されてあります。
製造工程ごとに分けられた建物の高さがそれぞれ異なるのは、通常建造物を建てる場合、起伏のある地面を平らにならし、かつ全工程を同じ建物に入れるのが合理的ですが、自然への配慮から本来の土地の起伏を活かした作りになっています。
冷涼で霧の多いこの地域では、余市蒸溜所と同様ゆっくりと熟成が進みます。
壁の上方には小さな窓が開いており、ほとんど開けっ放しにし、自然に近い環境で熟成させているといいます。

画像引用:宮城峡蒸溜所

画像引用:宮城峡蒸溜所

画像引用:宮城峡蒸溜所

 

6.蒸留所ストーリー

6-1.歴史

1934年
(昭和9年)
寿屋を退社した竹鶴政孝がスコットランドの気候に似た北海道余市に、余市蒸溜所と大日本果汁株式会社を設立。
1935年
(昭和10年)
リンゴを搾汁した「ニッカ林檎汁」を製造販売
1936年
(昭和11年)
酒造免許を取得ウイスキーの蒸留を始める。
1952年
(昭和27年)
ニッカウヰスキーに社名変更。瓶詰め工場として東京工場(現在の六本木ヒルズ、毛利庭園)を設置。
1954年
(昭和29年)
朝日麦酒(現アサヒビール)が株主となり、ニッカと業務提携を行う。
1969年
(昭和44年)
仙台工場(宮城峡蒸溜所)完成。生産を開始。
1972年
(昭和47年)
「余市」「宮城峡」「カフェグレーン」をブレンドした初のブレンドモルト『ノースランド丸びん』発売。
1976年
(昭和51年)
仙台工場第2期工事完成。糖化槽、発酵槽、蒸留器4基を増設。
原酒生産能力が2.5倍となる。
1980年
(昭和55年)
旧事務所余市町指定文化財に指定。
1989年
(平成元年)
「シングルモルト仙台宮城峡12年」発売。
1999年
(平成11年)
カフェ式連続式蒸溜機を西宮工場から仙台工場へ移設。
2001年
(平成13年)
アサヒビールと営業統合し、ニッカは完全子会社化。
ニッカウヰスキー北海道工場から余市蒸溜所へ名称変更。
仙台工場を宮城峡蒸溜所に名称変更。
2004年
(平成16年)
余市蒸溜所が北海道文化遺産に登録される。
2005年
(平成17年)
余市蒸溜所の事務所棟、蒸溜棟、などの9建造物が登録有形文化財に指定される。
2014年
(平成26年)
NHK連続テレビ小説「マッサン」放送。
2015年
(平成27年)
余市、宮城峡合わせて蒸溜所の見学者数、年間100万人を超える。
2021年
(令和3年)
10の建造物が国の重要文化財に指定される。
2022年
(令和4年)

登記上の本店を70年ぶりに移転。場所は創業の地、後志管内余市町に移転。

6-2.歴代のブレンダー

初代マスターブレンダー「竹鶴政孝」

1962年(昭和37年)にイギリスのヒューム副首相が来日した際に「頭の良い日本の青年がやってきて、1本の万年筆とノートで英国のドル箱であるウイスキーづくりの秘密を盗んでいった」と当時の池田首相に語ったという逸話もある程の天才。
鳥井信治郎と並び「日本のウイスキーの父」と呼ばれています。
ウイスキーへの愛はもちろん、妻リタへの溺愛ぶりは相当であったようです。

鳥井信治郎から招かれて山崎蒸溜所の初代工場長を10年勤め上げた後、自身の理想とする余市蒸溜所を立ち上げてから1976年(昭和51年)発売の「鶴」までの全てのブレンディングに携わります。
またイーニアス・コフィーが発案したカフェ式連続式蒸留器を導入した人物でもあります。
相当な酒豪でウイスキーを一日一本飲んでいた、という逸話が有名ですが、意外にも晩酌時にはリタの作る日本料理に合う日本酒を好んで飲んでいたそうです。
1956年(昭和31年)黄綬褒章を授与され1965年(昭和40年)には、余市町の名誉町民に選ばれました。
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「竹鶴政孝」の事をもっとよく知りたいという方にオススメしたい書籍を紹介します。



2代目マスターブレンダー「竹鶴威」

威と書いて「たけし」と読みます、広島県福山市出身。
19歳の時に、叔父にあたる竹鶴政孝の養子になります。
広島大学の発酵工学科を卒業し1949年(昭和24年)ニッカに入社。
1970年(昭和45年)、取締役製造部長就任。
その後、常務、専務、副社長を経て1985年(昭和60年)に社長に就任。
1988年(昭和63年)に一度社長職を退きましたが、1992年(平成4年)から会長兼務のまま社長に復帰。
若い時節、ジョニーウォーカーやバランタイン等の海外原酒を後学の為に取り寄せて試飲していた時に、特に気に入ったのが皇室御用達のウイスキー『ロイヤルハウスホールド』であった、と本人のコラムにて語られています。
3級ウイスキーの時代から、ブレンダーチームに参加しており『スペシャルブレンドウイスキー』や『丸びんニッキ』『エクストラニッカ』からブレンダーとしてのキャリアをスタートさせています。
1997年(平成9年)にマスターブレンダーを佐藤茂生氏に引き継いでいます。

「竹鶴威」の事をもっとよく知りたいという方にオススメしたい書籍を紹介します。

3代目マスターブレンダー「佐藤茂夫」

1946年(昭和21年)生まれ。
1969年(昭和44年)京都大学農学部農芸化学科を卒業後、ニッカウヰスキー入社。
余市蒸留所・研究課にて品質管理、ブレンド等の研修・実務の後、弘前工場にてアップルブランデー、シードル等の開発に従事。
1984年(昭和59年)柏工場内に生産技術研究所・ブレンダー室が開設され、チーフブレンダー就任。
1997年(平成9年)マスターブレンダーに就任。
2001年(平成13年)本人が厳選した「シングルカスク余市10年」が日本初の世界最高賞を受賞。
これを機に世界的なジャパニーズウイスキーブームへと突入していきます。
ニッカ退職後は後進の育成やウイスキー文化の普及活動を積極的に行っています。
今も大人気商品である『フロム・ザ・バレル』や『ピュアモルト』『ブラックニッカ クリア』など、我々のよく知るニッカのヒット商品のほとんどを手掛けた人物です。
チーフブレンダーである杉本純一氏は、佐藤茂夫氏の代表作とも言えるブラックニッカクリアのレシピを見て「佐藤が残したレシピは、変えるところのない完璧なブレンドでした」と評しています。
「佐藤茂夫」の事をもっとよく知りたいという方にオススメしたい書籍を紹介します。

4代目マスターブレンダー「山下弘」

1947年(昭和22年)生まれの北海道函館市出身。
ニッカウヰスキーの代表取締役社長、会長を務めました。
1970年(昭和45年)ニッカウヰスキー入社。
生産部長、西宮工場長、アサヒビール酒類事業本部副本部長などを歴任。
2002年(平成14年)アサヒビール執行役員、ニッカウヰスキー株式会社代表取締役社長。
2010年(平成22年)同社代表取締役会長。同年、第4代マスターブレンダー就任。
2012年(平成24年)同社顧問。

チーフブレンダー

杉本淳一
久光哲司
佐久間正

7.その他の蒸留所一覧

日本のウイスキー蒸留所一覧(2024年5月更新・全106ヶ所)
2024年5月更新、最新のジャパニーズウィスキー蒸留所一覧、山崎蒸留所、白州蒸留所、余市蒸留所、宮城峡蒸留所、クラフト蒸留所の秩父蒸留所、厚岸蒸留所、ガイアフロー静岡蒸留所、マルス信州蒸留所、マルス津貫蒸留所、三郎丸蒸留所、安積蒸留所など全103ヵ所を一覧で総まとめ!
この記事を書いた人
万代 竜一

福岡県福岡市出身
福岡にある中洲のBARで14年間修行後、俳優業での活動の拡大も兼ねて2018年上京。俳優佐藤二朗氏作の舞台にて東京初舞台を踏む。特技はギターとビール好きが高じてビール銘柄をブラインドで当てられる事。
最初はウイスキーを飲み慣れておらず苦手だったものの、深く知るにつれて作っている人達の想いが強い事に感銘を受けて、作り手の方達を知ってもらえる一助になれば、と思いJWDに参加。現在はウイスキーが大好き。

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